DAHLIA TOUR~「DAHLIA」リリース、解散
DAHLIA TOUR~「DAHLIA」リリース、解散
出口の見えない「DAHLIA」のレコーディングが終わらぬまま、1995年11月、アルバムが未発表にもかかわらず遂に全国ツアー「DAHLIA TOUR1995-1996」が開始されてしまう。YOSHIKIの体調を考慮して、基本的に1~2週間に1個所で2daysという緩い日程だった。にもかかわらず翌1995年12月、仙台公演2daysが中止。翌1996年3月14日、名古屋公演2日目にYOSHIKIがライブ中に椎間板ヘルニアを再発して、そのまま以後のツアー日程は全て中止され、事実上ツアー終了。実に(福岡の延期を除く)18公演中、7公演が中止という、悪夢としか言いようが無いものになってしまった。特に福岡ドームに至っては、延期公演の振替も中止というありさまであった。
そして長期のレコーディングの末、1996年11月4日に最後のオリジナルアルバム『DAHLIA』がリリースされた。しかしアルバム発売以前に全10曲中6曲までがシングルリリースされる(さらに『DAHLIA』リリース後に「SCARS」もシングルカットされた)という、ベスト盤的アルバムとなってしまった。この頃になるとTOSHIがXに息苦しさを感じるようになっていた。
1997年4月、音楽性・方向性の違いによりTOSHIが脱退する。後任のヴォーカルを見つけられなかったバンドは、「2000年X JAPAN復活再結成、その為の一旦解散」を決定。9月22日読売新聞紙上に広告を掲出、解散を発表した。同日、記者会見を開き、X JAPANは解散した。その後、ファンに対する「けじめ」としてライブをしよう、とHIDEがYOSHIKIを説得。TOSHIも参加して、1997年12月31日に東京ドームで「THE LAST LIVE~最後の夜~」が行われ、終了後出演した紅白歌合戦のステージで幕引きとなった。
